ヒューマンエラー


監視カメラ越しの夜神月の印象は、「完璧」の一語に尽きた。無線と有線を通して竜崎の水晶体に伝えられた月は確かに眠り、食事を取り、排泄し、たまに性欲を処理していたが、その挙動には人間の本能に付き物の熱のようなものが感じられなかった。一挙手一投足の流れるような優美さが竜崎には作り物めいて見えた。まるでそうする必要がないけれども、そうプログラムされているのでその通りに行動しているかのように無駄がなく、美しい。竜崎は、もし月がキラなら月の精神は既に神の粋に達していると結論付けたが、実際のところ神という概念については常に懐疑的であったため、月は実はロボットではないか、とも考えたことがある。世紀の殺人鬼キラがロボット。思考し判断する殺人機械。しかし、だとしたら一体誰がそんな馬鹿げたものを作ったというのか。それこそ神以外ありえないではないか。神などいない。ではこの完璧な生き物はなんなのか。ループする考えに倦んだときは、竜崎は傍らで同じ画面を見ている月の父親を見つめる。疲れた様子の中年の男は紛れもなく人間で、この人間から月が形作られたと思えば竜崎は安心できるのだった。

 

 

同じ大学に入り生身の月と接触した後も、初めに抱いた月への印象は変わらなかった。むしろ疑いは強まったと言っていい。竜崎は月の笑顔や声音に、それが美しければ美しいほど言いようのない違和感を感じる。大学の同級生や捜査本部の他の人間が、月の存在に疑念を抱かないのが竜崎には不思議だった。こんなに完璧をトレースするように生きている人間がいていいものだろうか。(お前は何を隠している)
そうして違和感はいつしか苛立たしさに変化し、暴力的な衝動が竜崎の内に込み上げる。竜崎は月の仮面が剥ぎ取りたくて堪らない。薄茶色の絹糸のような頭髪の下の頭蓋骨をこじ開けたい。そこにはキラのプログラムが隠されていないのか。滑らかな胸板を抉りたい。そこには本当に脈打つ心臓が存在するのか。華奢な腕を引きちぎりたい。もぎ取とられた穴からケーブルは垂れるか。竜崎の頭の中で、月は日夜解体されている。
ソファの上での浅い眠りの間でも寸暇を惜しんで解体作業は続行される。
今日も竜崎のシナプス上では月が解剖台の上で拘束具に四肢を縫いとめられ、切り刻まれている。いつもはなにも出てこないでがっかりするところで夢は終わるのに、今日は違った。腹を裂かれた月が妖艶な笑みを浮かべながら、竜崎に囁いた。「残念だね、竜崎。僕は神だから、僕を切り刻んでも何も出てこない」切り落とされた月の白い手がメスを持つ竜崎の右手を握った。触られた手首から恐ろしい速さで腐食が進み、思わずメスを離したところで目が覚めた。最悪な気分だった。

「夜神くん、私、今、最悪な気分なんです」
影を貼り付けた男は緩慢な、しかし隙のない動きで月の前に立ちはだかる。
「あなたのせいですよ」
謂れのない批難に、月は綺麗に眉を顰めてみせる。その愁眉のカーブの計算された美しさはやはり作り物めいている。竜崎は、そんなプログラムのリターン値が欲しいわけではなくもっと乱れた、熱く、醜いものを月から引き出したいのだ。欲求のままに、竜崎は手を伸ばして月の額に触れた。そこには月の印象から導き出されるような冷たい無機質さはなく、むしろ切望していた暖かさが手のひらに広がる。その温度差に、先ほどの不愉快な夢を思い出した。蝕むように自分の体に広がるイメージ。月に触れている手のひらから末端神経を通り脊髄を駆け上り脳幹にまで達する何かに体が痺れた。

 

 

監禁を解いて、代わりに手錠で繋いで、戻ってきた肉体を検分する。監禁前は、脳内で弄ぶのに飽き足らず実際に何度も何度も確かめた体だった。あの日、月の額に初めて触れた日以来、竜崎は月と何度か交わった。それは竜崎の中の探究心がそうさせるのだと月に告げると月は「いくらでも確かめれば?」といつも簡単に竜崎を受け入れるのだった。どんなに酷い行為を強いたとしても月には皹一つ入れられなかった。ぼろぼろになってさえも月はいつも竜崎の思い描く完璧に綺麗に重なっていたのに、ある日からモニタ越しに感じた月がまるで別人のようになってしまった。これは竜崎が以前から欲してやまなかった「完璧ではない」月なのだろうか。変化を確かめたくて執拗に探り、触れ、交わったが、結果は監禁前と同様だった。体は以前と同じように熱くなり、撓り、竜崎を受け入れる。中身だけがそっくりそのまま入れ替わってしまったかのようだった。
「月くん」
「・・・なに」
「覚えていますか?」
「忘れられないよ」
忘れられない、と言った本人は竜崎を蠱惑したことを忘れたようにただ戸惑った貌を見せるので竜崎は我知れず絶望した。これは確かに竜崎が切望していた想定外の月であったが、望みが叶ったという喜びの欠片もなく、残ったのはただ砂を噛む様な苦い思いだけだった。こんな月が欲しかったわけではない。竜崎が欲していたのはもっと・・・

 

 

 

 

ガターンと大きな音がして椅子が倒れる音が聞こえた、気がした。それは多分気のせいだ。何故なら倒れるのはこれから先の話だ。竜崎のぶれる視界に斜めに天井が飛び込んできて倒れかけていることを知覚する。何故かスロータイムで位相する世界の中で彼が最後に見たのは、唇の端を歪めて微笑む夜神月の顔だった。これだ。これがずっと欲しかったものだ。この表情を求めていたのだと竜崎はやっと理解した。求めていたものを網膜に焼き付けてもう二度と露光させないように、やがて目蓋は静かに下ろされていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ、月くん。また明日」
「お疲れ様です」
最後に残っていた松田が部屋から出て行っても月は暫く意味のないデータと戯れていた。意味のないデータから意味のない推論して意味のない捜査方針を決定付ける。そら恐ろしくなるくらい退屈な作業を倦むこともなく続ける。それから30分ほどして漸く作業を止めた。部屋には誰もいないことを確認する。死神とその目を持つ少女は今日は帰ってこないだろう。伏せていた目をあげ、おもむろにあるウィンドウを立ち上げる。そして、既に暗記してしまったコードを流れるようにフィールドに打ち込んだ。膨大なそれを間違えることはない。恋人の名前を呼び間違えることがないように。

36桁の数字と24桁のアルファベット、その芸術的な組み合わせ。それが竜崎の「名前」だった。

 

天才的な発明家であるキルシュ・ワイミーが作ったAI(autonomous intelligent )、それが竜崎の本質だった。月がそれを知ったのは竜崎が「死んで」から暫くたった後だった。鍵はすぐそこにあった。捜査本部ビルにあったシステム全てを持ち出すために浚ったデータベースの中。どうしてもアクセスができなかったその認証システムに、レムのノートに残されたそれをあてはめたとき、月はそこに竜崎の「本体」を知った。そのとき月は何故か安心した。竜崎は死んでいなかった。もう月を追うこともなく、しかし破壊されず、その本体が月の手の内に残された。その事実は月を堪らなく優しい気分にさせる。竜崎と知り合ってから初めて、心置きなく彼を愛することができる。神は特定の人間を愛したりしてはならないが、もし相手が人間でないのならなんの問題があるだろうか。竜崎の容れ物は滅びたが(焼却されたのか、リサイクルされたのか、月は知らない)彼の本体はいまだ残り、器の設計図だってあるのだから再生することだって可能だろう。いつか月が新世界を作った暁には竜崎の復活させようと決めている。そうしたらまた楽しい鬼ごっこができるだろう。優しい眠気に誘われながら、デジタルの海の中に竜崎を感じた。今ならどこにいても彼と繋がることが出来る。かつて繋がった時よりも深く分かちがたく。きっと彼自身は自分がAIであることを知らなかったのだと思う。月のことを常にロボットじゃないかと疑っていたのだ。そう思い返すと月よりも余程人間らしかった彼のたった一つの無知が堪らなく愛しく思えて、ゆっくりと眠りに身を任せながら月は呟いた。
(お前の方こそ完璧じゃないか)

眠りについた月の前のモニタには完璧な推理機械のコードが瞬いている。

 

 

 


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竜崎ロボットにしてすみません。ほんとにごめんなさい。
SFが大好きです。生殖行為をして人間との間に子供を生むロボットの
話を読んでたら、こんな話になりました。AIは「人口知能」じゃないですよ、「自立知性」です。
しかし、この伝で言うと、ニアもメロもワイミー製ロボットですね・・・。


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