夢の中で泣いていた。目覚めてもう一度泣いた。泣き過ぎて頭が痛い。何もする気が起きなくて上半身を起こしてヘッドボードに凭れたまま自分の手を眺めていた。
この手を綺麗だと言った男が、昔、いた。彼の夢を見ていたのかは分からない。何も覚えていなかった。多分彼が出てきたのだと思う。夢の内容を思い出せないことを残念に思った。
「…キラ、どうした?目が赤い」
いつの間にか、魅上が部屋に入ってきて、ベッドサイドに立っていた。その手には大きめのマグカップがある。僕が目覚めたことに気がついて紅茶を持ってきたのだろう。魅上は僕の世話を焼きたがる。時々鬱陶しいこともあるが、魅上の淹れた紅茶は美味しいので我慢することにしている。少し前に、一度紅茶を淹れているところを見せて欲しい、と頼んだら嫌そうな顔をしたが結局見せてくれた。丁寧にカップを暖めた上で紅茶を注いだ後、ブランデーを数滴垂らしていた。だから美味しいのか、と僕が言うと、魅上は面映そうな、不機嫌そうな、それでいて満足そうな複雑な表情を作ってみせた。
僕の鼻腔をその馨しい香りが掠めた。いつもは何も言わずにカップを渡してくる癖に、今日に限って動かないのに焦れて手を伸ばすと軽く遠ざけられた。
「…紅茶が欲しい」
そう言うと、魅上は今度は大仰な仕草でカップを高く持ち上げた。
「泣いていたのか?」
理由を言うまで渡さないということか。魅上は無表情で唇を引き締めたまま僕を見下ろしている。頑固な奴だと思った。紅茶の香りに少し癒されていた筈の頭痛までぶり返してきた。こんな高圧的な態度を取っていつつも、内心僕の言葉を心待ちにしている事が分かるから余計に気分が悪い。魅上の、その軍用犬のような忠誠心を僕は別に厭ってはいない。ただ、全身で僕の反応を追う様子を見ていると自らも嘗て彼にこう見られていたのかもしれない、と思い当たって少し憂鬱になるだけだ。僕は決して彼のことを信仰したことはないが、確かにある一時期僕は全身で彼を感じていた。彼の動きを予測し、彼の言葉の裏を考え、彼と同化するように思考した。そんな僕は彼にどう映っていたのだろう。そう考えると、何年も経過した今でも落ち着かない気分になる。
「見ての通り」
「どうして泣いていた?怖い夢でも見たのか?」
子供じゃないのだから。思わず笑ってしまう。魅上はいつもどこか的外れだ。
「さぁ、どうだろう。覚えていないな」
「泣かないで欲しい。もう二度と泣くな」
「魅上には関係ないじゃないか」
そういうと明らかに瞳に険呑さが増した。カップを持っている手が微かに震えているのが分かって、怖いな、とどこか他人事のように僕は思う。
「…貴方が泣いていると、私は自分を殺したくなる」
魅上が乾いた声でそう言う。
「貴方に涙を流させた人間も殺したくなる。だから泣くな」
魅上が彼を殺すことなどできない。僕が既に殺してしまったからだ。つくづく嫌なことを思い出させてくれる。
「出てけよ!」
少し強い調子で言うと魅上はカップを置いて出て行った。ドアのところで軽く振り返って僕を見る。僕がどんなに当たっても微塵も傷ついた様子を見せないところだけは、彼に似ていて腹立たしい。
ベッドの上で俯いていると魅上の視線を感じた。真っ直ぐに、僕を見ている。僕の部屋と魅上の部屋は廊下を挟んで向かい合わせにある。彼の希望でドアはいつも開けられておくことになっていた。四六時中僕の様子が知りたいのだそうだ。特に断る理由もなかったので僕はそれを受け入れていた。魅上に見られていても、何も感じない。
僕は漸くベッドから降り、のろのろと着替え始めた。殊更ゆっくりと羽織っていたシャツのボタンを外してそのまま肩を滑らせ床に落とした。昔、彼に見られているといつも不快だった。彼の視線は僕を落ち着かない気分にさせ、時には悪寒さえもたらした。その癖、彼が僕以外のものを見ていると僕は苛立った。その焦がれるようなディレンマは、視線を合わせて正面から見詰め合う時に最高潮に達する。見て欲しい/見て欲しくない/もっと見て欲しい/二度と見ないで欲しい/ずっと見ていて欲しい…。あの感覚はどこへ往ってしまったのだろうか。背筋を震わす高揚感を思い出すように仰のいて瞳を閉じたけれど、その残滓すら感じ取ることはできなかった。
振り返ったら、まだ魅上が僕を見ている。開け放たれたドアの向こうから、ただ立ったまま僕を見ている。視線が合った。犬の瞳だ、と思った。僕は矢張り何も感じることはできない。
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魅上さんの喋り方が分からない。見切り発車もいいところですが
いまのうちにしか書けないとの思いもあり。照が少し可哀想ですね。
もっと基地外っぽくしたかったのですが無理でした。