1.10月23日深夜
川の半ばぐらいまで僕を引っ張ってきて、竜崎は立ち止まった。水深は1メートルぐらいになっている。夜は暗くて、月の光さえ幽かだった。世界の全てが遠かった。僕たちは縺れ合うように抱き合っている。絡めた指先、背中に回した腕、重ね合わせた心臓、これ以上ないぐらいに密着していた。竜崎はとても幸福そうだった。優しい声で喋った。ときどき僕の首筋に鼻を擦り付けてはおかしそうに笑った。そんな彼が珍しくて僕も思わず笑ってしまう。僕たちはこれから死のうとしていた。濡れた足が冷たかった。どうしようもない寒さと震えはこの間にも僕たちを侵食していたが、それでも竜崎が幸せそうだったので僕も嬉しかった。きっと僕はどうかしてた。
夜が甘くて、星の輝きも遠かったせいに違いなかった。
(カットバック)
2.9月1日午後3時
「夜神くんは傲慢ですね」
竜崎が唐突に云った。資料を片手にキラについての推論を述べていた僕を遮るようにして、そう云った。傲慢なのはお前だろう、と云うと少し悲しそうな顔をしたので僕は何も云えなくなってしまった。竜崎のそんな顔を初めて見た。傍目には分からないほど微かに口の端を歪めて、そして瞳には名状し難い色を刷いて僕を見つめていた。僕はその色に、諦めと優しさと苛立ちと、、、あと何を感じ取ったのだろう?それらを総合して、悲しそうな顔をしている、と感じたのだった。
突然竜崎にあやされているような気がして、その考えは急速に僕を支配した。彼の悲しみは大人の視線で僕を貫き、まるで言う事を聞かない子供を見つめる母親のような顔で僕を批難する。僕は実際に母親にそんな目で見られたことはない。無論父親にも、だ。そんなヘマをするような子供ではなかった。ただ竜崎だけが、僕を慈しむように扱う。そして僕はそれを本能的に恐れる。
「他人の話を聞かないお前はどうなんだ?」
恐れが僕を攻撃に転じさせると、彼は今度ははっきりと微笑んで小首を傾げた。
「君はとても賢いのに、理解しようとしない」
「何を?また僕がキラだとかそういうことか?」
「・・・そうやって誤魔化すのはわざとですか?」
そう云って彼は立てた膝の間に顔を埋めてしまった。僕はその稚拙なポーズに呆れ返って、彼が発した最後の言葉を聞こえない振りで流した。くぐもってはいたけれど、それははっきりと僕の耳に届いていたのにも関わらず。
「君が理解しようとしないのは、私です」
彼はそう云っていた。取り返しの付かない綻びが始まっていることに僕はまだ気がついていない。
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(幕間1)
今、僕は竜崎が寝ているのを枕元で眺めている。彼此もう10時間以上も寝ているのにまったく薄れる気配のない隈のせいで、より一層やつれて見える。早く起きないかな、と思う。昔は彼のほうが僕の目覚めるのを待っていることが多かった。あの頃のことを思い出すと不思議な気分になる。今にして思えば、あの頃はまだ良かった。退屈に耐え切れなくなった僕は、彼の耳元で大きな声で叫んでみる。
「竜崎、好きだよ、大好きだよ、死ぬほど好きだよ」
それでも起きないのは最初から分かっていた。自分が馬鹿になった気がした。この頃僕はとても気が短い。苛立ちまかせに寝ている竜崎の頭を殴ってみたけれど、矢張り彼は目覚めないのだった。退屈で気が狂いそう、と思っても狂うことすらできない。
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3.10月2日午後11時
今日、竜崎は一日中上の空だった。椅子に腰掛けたと思ったらやおら立ち上がって部屋の中をぐるぐる歩き回るものだから、僕は苛々していた。彼は徘徊しながらも時々僕に視線を寄越すので、何か僕に言いたいことがあるのだな、と感じた。感じたが、聞いてしまうことは怖かった。彼が僕を傲慢だと評したあの日から恐れは既に僕の中に在って、僕はそれから目を背け続けている。
竜崎の視線を避けながら努めて他の人と会話して仕事をしていたが、夜になって寝室に引き上げると逃げるわけには行かなくなった。僕はできるだけ手早く就寝の仕度を済ませてベッドに潜り込んだが、竜崎はベッドの上にいつもの座り方をしたまま一向に動こうとしない。
「電気消すよ?」
僕を見ている。
「もう寝ろよ」
返事もなく。
ただ大きな黒い瞳で僕を凝視している。いつものように爪を噛んでいるけれど、噛み締めすぎて血が流れていることにも気がついていない。彼は興奮している。僕は寝ることを諦める。
「なに?」
竜崎は馬鹿みたいに口を開いたり閉じたりしながら何事かを紡ぎだそうとしていた。僕はただそれを見ていた。本当は何も聞きたくはなかった。僕に躾けられた礼儀正しさが機械的に質問を投げかけたに過ぎなかった。その忌々しい躾けが彼の堰を切って、竜崎は一気に喋りだした。
「月くん、一緒に死にましょう。そうだ、其れが良い。どうか私と一緒に死んでください」
私たちはもう駄目です。
どこにも逃げられない。
そしてあなたには逃げる気などないでしょう。
私はこの堂々巡りに耐えられない。
あなたはキラで私はLです。
そこから逃れられない。
でもあなたを失うこともできない。
あなたがいない世界で生きてはいけない。
竜崎はそういうようなことを延々と呟きながら僕の手を両手で握り締めた。僕はそのとき正直驚いた。これは何かの罠ではないか、とさえ考えた。何故僕と彼が心中しなければならないのか僕には理解できない。僕はそんなに弱い人間ではないという怒りさえ覚えた。あまりに腹が立ったので、僕は思い切り笑ってやることにした。竜崎のその激しい葛藤を、僕は冗談にしてやりたかった。
「はは、おかしなことを云うね。疲れすぎじゃないのか?」
「疲れてなどいません」
「一晩寝て忘れなよ」
「ここ一週間ほどずっと考えていたのです。これが一番良い方法だと思います」
「りゅうざき」
とっておきの声を出すと、彼は黙って僕の顔を見上げた。僕は殊更優しく云ってやる。
「・・・僕はキラじゃないよ。だから僕たちは死ぬ必要なんてないんだ」
「あなたはキラです」
そういうと竜崎は漸く静かになった。いつもと同じ堂々巡りに僕も倦んでないと言えば嘘になる。その夜、疲れ果てた僕たちはただ抱きしめ合って眠った。同じ夢は決して見ない。
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(幕間2)
竜崎がやっと目覚めた。医者がやってきて、薬による強制的な眠りのせいで些か茫洋としている竜崎の瞳孔を見たり、血圧を測っている。どうせ今日もなんの変化もない癖にご苦労なことだと思う。僕は一応邪魔にならないように部屋に隅に引っ込んでそれを眺めている。医者は看護婦にいくつかの指示を出して病室を去っていった。看護婦が13種類もの薬をトレーに出して竜崎に渡すと、彼はおとなしくそれを嚥下していく。彼を現実に引き止めるための薬、僕と彼とを分け隔てるための薬、彼の理性を鈍らせる薬、等々。そんなものを諾諾として飲んでしまう竜崎が憎らしくて大きな声で云ってやった。「詰まらない奴!」
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4.再び10月23日深夜
こうして僕たちは川の中に分け入っていくことになる。竜崎が選んだそこは都内からさほど遠くなく川面は夜目に滑らかでここで本当に死ぬことができるのだろうかと僕は訝った。竜崎のことだから相当凝った自殺方法でも考えるのかと思ったのに、ただ入水しましょうと彼は云う。彼と深みに落ちれば落ちるほど僕は彼のことが分からなくなって行く。その瞬間もこれ以上ないほど密着していながら、僕たちは遠く離れたところにいたのだと思う。彼はこれから死ぬことに歓喜していたが、僕はと云えばただその竜崎の様子を気味悪がったり、水の冷たさに本気で怯え始めたりしていた。さっきまでの優しい気持ち、楽しげな気分は跡形もなく消えうせて、「一緒に死んでもいいよ」、と答えてしまったことを激しく後悔していた。本当のことを言えばあまりにも竜崎が五月蝿いので適当に答えただけだった。僕はいつまでこの茶番に付き合えばいいのだろうと思い始めている。眠かったし、帰りたかった。こんな浅い川で死ぬことができるはずもない。
「月くん」
「ん」
「すみませんでした」
僕の後悔を見透かしたように竜崎が謝るので、僕の心臓が跳ね上がった。ぴったりと体を重ね合わせていたのできっと彼にも伝わってしまったと思う。彼の両腕が一層きつく僕を抱きしめた。
「私の我侭を許してくださいね」
その理性的な響きに漸く僕は覚醒した。竜崎は最初から最後まで本気だったことを思い知る。これは茶番などではなくて・・・。僕は、彼がやると決めたことを必ずやる人間だということを知っていて・・・。
「い、…嫌だ!離せっ」
この後に及んで暴れだした僕は大層みっともなかっただろう。彼は本当に駄々をこねる子供を窘めるようにその痩せた腕でいとも容易く僕を拘束した。
「嫌だ、死にたくない、僕はまだ」「月くん、諦めてください。これでもう離れることはなくなるのです」「違う、死んだら本当に…」
本当に離れ離れだ、と僕は続けることができない。その事実を知っているということこそは僕がキラであることの証明だからだ。僕と彼にとって死は本当に永遠の別離となる。それを云うことができないもどかしさ、それを知りもしない竜崎の愚かしさ、そしてそれを愚かしさと断罪してしまう僕の傲慢さ、、、、やはり僕は彼の云う通り傲慢だったのか。全てが僕を追い詰める。こんな結末は予想していなかった。これが僕へ下された鉄槌なのか。逃れるように僅かに自由な左手を闇雲に振り回した。足が縺れる。バランスが崩れる。後ろに倒れ込む僕に圧し掛かるように竜崎が覆いかぶさってくる。その瞳は僕しか写しださない。昨日までと何一つ変わらぬ竜崎なのに、見知らぬ男の顔をしていた。これは確かに昨日まで僕が信用していた男のはずだった・・・。
(溶暗)
5.10月22日午前3時
僕は死にたくなどなかった。ただの一瞬たりとも。なのに気が触れたような竜崎に抱きしめられていると死が大層魅惑的なものに思えてくるのだ。少なくともそこには平穏があるのだろうと思えた。このままでは竜崎と一緒に気が狂う。僕はまだ死ぬわけにはいかないのだ。僕と彼は等しく相手を必要としているように思っていたが、結局のところそれはただの感傷的な幻想だったのだ。僕にはやらなければならないことがある。竜崎が狂ったように死にましょうと囁きかけるので、僕の心は死ぬわけにはいかないというリフレインで一杯になった。
「夜神くん、疲れている顔をしていますね」
気遣うように僕の髪を撫でる竜崎の無神経さに呆れ返る。おまえのせいだよ、竜崎。おまえの狂気が伝染して僕まで溺れそうだ。そう怒鳴りたかった。だけど言えなかった。反論できないほど消耗していることに気がついて愕然とする。早くケリをつけようと疲れた頭で考えた。験しに自殺ごっこに付き合ってやっても良い。それで竜崎の気が済むなのらば。幾ばくかの傷、或いは、いくつかの道具のお膳立て。実行してみればその馬鹿馬鹿しさに彼だって気がつくだろう。僕はこの瞬間もある意味彼を信用している。僕の敵、僕の友、僕と・等しい・存在としての、彼を信用する。彼は本気で死ぬなんて馬鹿なことはしない、と。
6.終幕
夜がやって来る。あの夜のように冷たくはない、そして甘くもない夜がやって来る。「僕の竜崎」が目覚める時間だ。僕はそれをまず彼の呻き声で知る。穏やかで空虚だった瞳に凶暴な灯りが燈る。呪詛のように低い声で何事か呟き始める。僕は、彼が呟いているのが僕の名前だと知っているから、天井から滑り降りて彼の傍に寄る。もっと呼んで。もっと僕の名前を。もっと声を聞かせて。夜しか聞けないから、夜しか思い出してくれないから、もっと。
「月くん・・・月くん・・・」
「どこに行ったんだ、夜神月・・・」
「ここはどこだ・・・」
「・・・・私は何をしている?」
「・・・月くん、、、、あぁぁぁぁぁああああ」
(やっと正解を思い出したね、竜崎。僕だけ死んでお前は生き残ったのに、昼間は忘れているなんて酷いよ)
深夜の病棟に彼の絶叫が響き渡る。それは、毎夜のことだからこの病室は一般病棟から遠く隔離されている。
(あまり大きな声を上げるとまた鎮静剤を打たれるから静かにするんだよ、竜崎。薬を打たれたらまたお前は僕を忘れてしまう)
僕が一生懸命話しかけているのに、竜崎は嗚咽を上げ続けている。こんなに傍にいるのに僕の存在に気がつかない。僕は一体なんなのだろう。川で竜崎を見上げた。そして暗くなった。気がついたら、竜崎の病室にいて昏睡する彼を見下ろしていた。幽霊ではないと思う。何故なら誰も僕に気がつかない。幽霊とは、人に知覚されて初めて幽霊として存在し得るのだ。僕は存在しているのか。ただ意識だけが連綿と続くこの状態で。ただ竜崎を見ている。彼から離れることはできなくて、僕はこれが僕への報いだと思い知る。デスノートを使った報いであるはずがない。これはただ、竜崎を理解しなかった夜神月への報いなのだ。ここで急速に狂っていく竜崎を見ている。僕はただ狂気から遠く離れたところで、退屈だ。
(終演)
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まず謝ります。大変分かりにくくて申し訳ありません。最初時系列通りに書いていたのですが、どうにもスムーズにいかないので、一度書き上げたあと、自分でばらばらに裁断してしまいました。時系列通りに並べると、2→3→5→1→4→6です。2つの幕間は、6と同じ時系列です。わたしの書くLと月は両思いにもかかわらず、時間的もしくは空間的、生物的に隔たりがないと愛し合えないようです。根底にはいつも分かりあうことのできない二人がいます。太宰治を読んでいたときに書いた話です。