柔らかに奪われる。白い光がちらつく。呼吸ができない。もう少しで天国が見えそう。ああ、溺れる。
と思ったところで、目が覚めた。覚醒してすぐ状況を理解する。今日もまた月は奪われる。奪われて、搾られて、簒奪され続けてもうそろそろ尽きると思うのに、まだ底には到達できなかった。
「…おはよう」
「起きてしまいましたか」
まだ寝ていてもいいですよ、と咥えたまま言う。こんな状態で寝られるわけがないと思う。疲れ果てて拒否した意味がまるでなかった。寝室に入ってすぐ押し問答をした。当たり前のように月をベッドに押し倒そうとする竜崎の腕から必死に抜け出して、どれだけ自分が疲れているかを月は切々と訴えたのだ。毎晩なんて無理だよ、昨日だってあんまり寝てない、まだ腰が少し痛い、そこまで言ったら、竜崎は「じゃあ、しょうがないですね」と引き下がった。強引に押さえつけていた癖に、口調だけは至極あっさりしていて月には興味がないと言っているようだった。それなのにこの有様。
寝ている間に下半身だけ全て脱がされて、好きなように弄ばれたそこはもう眠ることなんてできないと主張している。自分は竜崎の玩具みたいだ、と感じるのはこういうときだ。勿論、月は玩具ではなく生身の人間だから、弄ばれている、と感じる度に心のうちで何がしかが損なわれる。でも損なわれ続けて軽くなった心と肉体は、別の楽しさを見つけ始めていた。何も考えない方が快楽に馴染む。愛とか恋とか友情とかすべて奪われ尽くされて抱かれたらそれこそ天国じゃないか?人間ってすごくよく出来ている、とそのとき月は思った。辛い状況を瞬時に快楽のステージに変えてみせるマインドセット。剥き出しの心から血が滲みだすような痛みさえも薄れてきてこのショックアブソーバーの出来がいいことを知った。あと一息、あとひと掻きで、完璧に溺れられる。そろそろ呼吸することも苦しくて月は限界が近いことを知る。解放の瞬間だけはいつも完璧に決まっている。完璧な溺死体になるにはあともう一押ししてくれればいい。
解放の余韻を楽しむだけではもう収まらない体になっている。そうしたのはこの男だ。
「竜崎のせいでもう眠れないよ」
視線を伏せて、甘えるように詰れば彼は月の欲しいものをくれるはず。竜崎の体はいつでも月に優しい。月の欲しい言葉は決してくれなかったが、その手つき、呼吸、ストローク全てが完璧に月を引きずり込む。思った通りに満足げに舌で唇を湿して、竜崎は覆いかぶさってきた。
「最初からこうすれば良かったんですよ」
存外器用にボタンを外していく。戯れのようなキスを繰り返しながら、月は次第に上機嫌になる。ほら、溺れることはこんなにも楽しい。
「僕が好きになったのはキラとお菓子が好きな子供みたいな奴なんだ」
「、子供みたい、ですか」
「なのにセックスがうまいなんて反則だ」
「月くんは苦しそうですね、いつも」
竜崎には窒息させるつもりなど微塵もないのに、月は夜毎打ち上げられた人魚のように痙攣している。快感を湛えた瞳の底のまだ辛うじて怜悧な部分が真っ直ぐ竜崎を貫いた。
「どうせならもっと上手に溺れたい。沈んでいくときに地上のことなんて思い出したくない。水中から見上げた空が綺麗だったら後悔するだろう?脇目もふらず一心不乱に溺れたいんだ」
その途方もない生真面目さが快楽を遠ざけていると月は気づいていないのだろうか。だが、それさえも愛しい、と竜崎は思った。
「もっと自分を忘れなさい」
きみは少し自意識が強すぎる。溺れるときにフォームを気にする人などいないでしょう、だから。と諭すその口で、唇を啄ばむ。首筋をなぞって、乳首を含む。そんな揺蕩うような愛撫はいらない、と月は心底思うのに抵抗はできなかった。竜崎はキラにこんなことをしたいのか、とか、本物のキラが現れたら僕はどうなるんだ、とかどうでもいい割に執拗な疑問は頭から離れてくれない。これがいつも完璧な耽溺から月を呼び戻してしまうのだ。体の抵抗を奪うだけではなく、精神ごと根こそぎ浚って欲しいと思う。それには少し竜崎は優しすぎた。
執拗に体内を弄られて喘ぎ過ぎで喉が嗄れて、ついに月は癇癪を起こした。
「へたくそ!」
「…さっきこの口で上手だといったじゃないですか」
「ああ、もう、だからもっと痛くしろよ。僕がもっとちゃんと溺れることができるように、さ」
「竜崎、お願い、もっと痛くして」
「…何て」
咄嗟に反応ができなかった。刹那、竜崎は月を抱いていなかったら、左胸に手をあてて神に感謝してもいいと思った。
未だ幼く、美しく、何ものにも染まらない純粋さを、汚すことのなんて幸福。完璧さを自分の形に歪めることのなんて背徳。
(竜崎の気まぐれのような憂さ晴らしはやがて月を浸蝕して、いつの間にか変容した月に竜崎は我を忘れて魅了された。互いに尾を食んだように離れられないスパイラルのままただ堕ちて溺れて、いつか地上のことなんて忘れてしまう日はきっとそう遠くない)
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手錠生活時代です。
溺れることができたとしても、所詮そこは浅いプールだったのです。
プアなセットの楽園。フランソワ・オゾンの映画とはなんの関係もありません。
あ、あれは「スイミング・プール」なので微妙に違う。