葬儀の朝


    墓地は緩やかな勾配の斜面に位置していた。冬枯れの芝生の間にうねるように小道が敷かれていた。これから葬儀に出席する者が麓からぽつぽつと歩いてくる。頂きからは告別を済ませたものが降りてきていた。空の灰色、喪服の黒、斑大理石の墓石、寒風。世界が彼の死を悼んでいる、と思える程墓地は沈鬱だった。駐車場から墓地に通じる道にまた新たな参列者が踏み入れた。

 コートを着ていない男二人が墓地への道をのろのろと上り始めた。午後から雪が舞うのではないかというほどの寒さの中でその二人は浮き上がっている。小道を降りてきた参列者が「信じられない」とでもいうように、すれ違いざまに彼らを振り返った。
 「・・・やっぱ、寒いですね」
   スーツの首元を掻きあわせながら松田が云った。竜崎は無言のまま敷石を見ながらただ黙々と歩いている。返事がないことを気にも留めず松田がまたぼやいた。
「車にコート置いてくるんじゃなかった」
「・・・どうせすぐ帰るんですからいいじゃないですか」
   竜崎が聞いていると思っていなかった松田は驚きながら隣の男を見た。表情はいつもと変わらない。それでも声音の陰気さにまたやり切れない思いがせりあがる
「可哀想な月くん」
 脈絡もなく、松田が呟いた。

 可哀想な夜神月。まだ若く、聡明で、美しかったのに。信じられないほど早く逝ってしまった。竜崎が最後に月に会ってから5年以上の月日が経過していたが、月の死後に見せられた写真の彼は別れたときと何も変わっていなかった。写真の中の彼は俯き加減で撮られていることに気がついていない様子だった。昔、竜崎もよく隠れて写真を撮っては月に咎められていた。思い出した途端、胸が詰まった。松田の前だというのに涙腺が緩んだ。5年の月日もなんの意味もない。彼のことを忘れた日など一日もなかった。

 二人の男はただ自分の足元を見つめながら、機械的に歩を進める。
「月くんがあんな風になってしまうなんて…」
 また松田が呟いた。口にして初めて、非難めいた響きに自分で気がついた。竜崎を責めるつもりなどさらさらなかったが、このやり場のない思いをぶつけるとすれば隣にいる男しかいないのではないか。いや、やっぱり違う。月を殺したのは自分も含めて全ての人間なのだろう。
 それでも、と松田は思わずにはいられない。竜崎があの時、月の手を離しさえしなければ何かが違ったのではないかと。

 松田が最初に月を見たのは、月が中学生の時だった。その時はただ、大人びた子だなあという印象しか持たなかった。14歳かそこらではあったが月の人生は祝福されていることは誰の目にも明らかであったのに、月はそれを楽しんでいなかった。月はどこか老成した、松田より遠くを見つめているような目をしていたので松田は隣に座っている間中、落ち着かない気分がしたものだった。
「月くんと初めて会ったときのこと覚えています?」
   竜崎の返事を待たずに松田は続けた。話しても話しても語りつくすことはできないが、それでも月のことを口にしていたい松田の気持ちを竜崎は理解していた。
「僕の場合はですね、局長の家に呼ばれたときでした。彼は後から顔を出して挨拶してくれた。部活か何かから帰ってきたところだったんですけどね」
 可愛かったなあ、今とほとんど変わらなかったけど・・・と付け加えた松田に竜崎は微かに頷いてみせた。

 あるかなしかの親密さがそこに漂っていた。同じ人を愛した者同士の。同じ痛みを分ち合う者同士の。月を巡って仲違いしたことはなかった。松田が月の傍にいたのは、竜崎が去った後だったから。竜崎と月が何故離れなければならないのか、松田には理由は分からなかった。月に聞こうと何度か思ったが、結局聞けず終いになった。ベッドの中で真っ直ぐこちらを見つめる鳶色の瞳の前では、松田はいつも言葉をなくしてしまう。居た堪れない気持ちは初めて会った時と何も変わらなかった。月は情事の最中に決して声をあげなかった。松田が何かを言おうとするとその口を細い指で塞いでしまう。竜崎の時もそうだったのだろうか、ふいにこの場で聞いてみたくなった。馬鹿げた思いつきだ。今更それを知っても月は帰ってこない。

 10メートル程先に4、5人のグループができていた。その中心に魅上の姿を見つけて自然に二人の足はとまる。今迄魅上について竜崎と松田は会話したことはなかったが、二人とも魅上を軽蔑していたことに変わりはない。月が最後に選んだ男。そこに嫉妬がないとは言い切れなかった。何故月はあの男を選んだのだろう。松田は何度も自問した。月が松田に別れを告げた日のことをよく覚えている。月は淡々と別れたい、と云った。他の男と付き合うためだとも云った。なぜなぜなぜ。しかし答えはどこにもなかった。月と別れることは仕方がない、と思えた。そもそも月が自分と付き合うこと自体が奇跡だったのだ。竜崎がいなくなったことが関係しているのだろう、と思ったがそれでも良かった。ただ、魅上に月は何を求めたのだろうか、それが気になった。別れて初めて月の望みを松田はかけらも理解していないことを知った。

 喪服を着て眼鏡をかけた魅上は確かに魅力的だった。月を喪った悲嘆を隠すことはせず、かといって取り乱したせず、弔問客の言葉に耳を傾けていた。竜崎は少し手前で立ち止まった。魅上に声をかけないことは失礼にあたるのだろうが、竜崎は彼と会話するための言葉を持ち合わせていなかった。月の最後の日々に、彼がしたことは最悪だった。月を世間から隔絶し、部屋に閉じ込め、妄執の内にも封じ込めたのだ。それに対して竜崎が思うのは、激しい悔恨の念だけだ。責めるべきは月でも、魅上でもなく、自分自身ではないか。この男を選ばずにはいられなかったそのときの月の孤独を思うと耐え難かった。

 結局、松田と竜崎はゆっくりと魅上の前を通り過ぎ、墓へと向かう。魅上の視線が自分達に注がれていることを感じる。彼は知っていたはずだ。月を愛した二人の男を。誰かが魅上に向かい、お悔やみの言葉を述べている。月がいかに美しかったか、いかに心根が優しかったか、くどくどと並べ立てたあげく最後に吐き出された「どうしてこんなことが・・・」、それだけが真実味を帯びていた。誰も知らない。ここにいる大勢の人々、彼の両親や妹でさえも、月が何を望んでいたのかを正確に知っていた者はいやしない、松田は思った。

 真新しい墓はシンプルであった。墓碑銘は刻まれておらず、彼の名前だけが美しく配置されている。彼自身の美しさにまったくひけをとらない、等分に美しい、その名前。竜崎はそれを少し意外に思う。魅上ならばもっと飾り立てて言葉を彼に送るのかと、漠然と予想していた。刻まれた、月という字に触れる。凍えるような寒さよりも更に冷たい感触。墓の中はもっと冷たいに違いない。その冷たさを分ち合いたかった。今更だ。

    松田が用意してきた花を供える。膝をついた彼の肩は窄まり、この数日で一気に老けたようだ。
「可哀想な月くん」
 松田が繰り返した。声が震えているのは寒さのせいか。

 「ねえ、竜崎」
 見上げた松田は泣き笑いのような表情を浮かべている。
「竜崎、僕は未だに分かりません。どうして月くんが死ななきゃいけないんでしょうか?」
「月くんは何がしたかったんですか?どうして竜崎は彼を置き去りにしてしまったんですか?」
「僕がこんなことを言うのは筋違いかもしれないけど、どうして彼の手を離したんだ・・・」

 泣いている松田を竜崎はしかし、どこか遠い人のように見下ろしていた。月の望み、それを理解できないとは!いや、理解はできなくてもいい。しかし何がしたかったのか、それはあんなに明白であったではないか。月を理解できていたのは矢張り自分だけだと感じた。それはつまり、月を救い得たのは自分だけだったということだ。

 竜崎は確かに月の望みを理解していた。あの優しい心が、幼い苛烈さで何を求めていたのか、いつも正確に理解していた。どうすればよかったのだろうか?気がついた時には手遅れだったのだ。彼の誤りは分かっていたが、人に望み得ることを超えて全てを捧げる彼を、気がついたら愛していたのだ。彼の望みならなんでも叶えてやりたいと思うのは間違いだったのだろうか。彼の望み、即ちそれが自分を排除することであったとしても。

 あの夜、月の瞳を覗き込みながら、そこに彼の望みを見出して竜崎は絶望した。絶望して、そして甘美な気持ちに酔った。そこにあったのは自分への純粋な殺意だ。一時であれ彼の望みを自分が占めているという陶酔、そして彼が欲するものを自分が与えることができるという幸福。自分が死ぬことが彼の望みならば。それを受け入れた自分はおかしかったのだろうか。おかしかったのだろう。こんな終わりとなってしまった今に思えば。

 しかし、竜崎は考える。もし時を戻すことができて、あの夜に立ち戻ったとして、また自分は同じことを繰り返してしまうのではないか。自分はまた喜んで彼に葬られるに違いない。月への愛はそのようにどうしようもなくただ一方的に甘やかすことによってしか与えられない。唯一の理解者がこんな自分だったことが彼の不幸だ。可哀想な夜神月。





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元ネタはタイトルバーにあるとおりです。この冒頭部分の設定に萌えてかきました。いろいろとおかしいことはありますが、これは暗喩小説として読んでください。暗喩なので、月は死んでません。Page.103とPage.104への私の感想と願望が入り混じって混沌としています。


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