end of youth

 

 貴方が何を心配しているのか僕には正確に理解することはできないけれど、もし貴方が僕が彼を忘れられない理由を愛だとか友情だとかその手の麗しい感情だと考えているのだとしたら、それは途轍もない勘違いだと僕は言いたいのです。僕が彼を忘れられない理由は、ただ単純に彼が僕をまったく愛さなかったという、その一点にあります。だからいくら貴方が彼の影を煩わしく思ったとしても、僕に関わろうとするのは全く見当違いの努力だと言わざるを得ません。彼は「僕」に対しては何もしなかった。もし僕に愛されたいのなら、僕の存在を無視すればいい。
 彼はそうした。

 初めて会ったときから、彼は僕にとって特別な人間でした。初めてその名前を耳にしたときから、であったかもしれません。僕はそのとき高校生でした。初めて自分を真に脅かす存在として彼を認識しました。僕を真っ向から否定し、嘲り、貶める彼は僕にとって新鮮な驚きをもたらしました。それでも僕はまだ彼を盤面の敵のように感じていました。どこかゲームのように彼の存在を楽しんでいた。何故なら彼が想定しているのは、キラであり、僕ではなかったからです。ああ、僕がこんなことを言ってしまって、貴方はがっかりするのでしょうか?キラは貴方にとってなんですか?
 キラは僕にとって、僕の一部分だ。僕という人間のほんの一部分を形成するものだ。貴方がキラを神と思うのならば、では、神性は僕の一属性だということです。 話が逸れましたね。
 あの日、テレビの中で彼が嘲ったのはキラという僕という人間のほんの小さな一断面であり、夜神月という人間は彼によって貶められたことは決してなかったのです。その時点で、それは大いに僕のプライドを慰めてくれました。

 

 大学で彼と出会ったことは知っていますか?
 最初は入学式だった。正直に話せば、その時僕は動揺しました。それはもうみっともないくらいに。けれども、最初の衝撃が過ぎ去ってしまえば、これは望みうる限り最高の状況ではないか、と思えるようになった。生まれて初めて、僕は対等に渡り合えるかもしれない相手と向かい合うことができたのです。僕はその事実に感謝した。夜神月として彼と相対できることはかつてない悦びを僕にもたらしたのです。彼はキラを断罪したかもしれない。しかし夜神月はどうだ。彼はこの僕をも断罪するのか?そんなことできるのか?勿論そんなことできっこないと思っていたから僕はその状況を楽しんでいたのです。

 しかし、その気持ちは長くは続きませんでした。僕が最初に計算違いに気がついたのはいつのことだったのでしょうか。たいして時間は必要ありませんでした。ほんの数回の会話で充分だったのかもしれない。彼が夜神月という人間をまったく見ていないことに気がつくのに。
 例えテニスをしていても、学食で一緒に食事を取っているときでも、それこそ講義中でも彼はキラ以外は求めていなかった。雑談をすれば、僕の言葉の裏にキラを探した。僕の行動のいちいちにキラの理由付けをした。僕が少しでも彼の思うキラから外れた言動をすれば、彼は不愉快そうに眉を顰めたものでした。これがどんなに僕を追い詰めたか分かりますか?生まれて初めて理解しあえると思った人間に存在を無視されたようなものだ。彼はね、キラではない僕にはまるで興味を持たなかったのです。僕が、この僕が、生まれて初めて自分から他人に興味を持ったというのに。彼が初めての人でした。

 

 僕は彼の捜査から逃れる為に所有権を手放したことがあると昔言いましたね。貴方は、僕がそれほどまでに追い詰められたことに対して憤っているようでしたが。確かに僕は追い詰められていた。それはもちろん事実です。切羽詰って、手放さざるを得なかった。しかし、その裏で僕がある期待をしていた、と言ったらどう思いますか?ノートの所有権を失い、全てのキラとしての記憶を失い、ただ一人の人間、夜神月として彼の前に立てる、そのことに僕が賭けていた、と言ったら。僕は彼に相対するとき常に自分がキラであるという意識に縛られていた。そのことが僕達の間に蟠っている、そう思いたかった。キラではない、ただの夜神月を彼がどう思うか、それを知りたいと思うのはいけないことですか?

 僕と彼のことを似ていると評した女がいました。貴方が知らない人です。気にする必要もない。彼女とはほんの数分立ち話をしただけだったので、一体僕のどこが彼に似ていると思ったのかは定かではないけれど、僕は一つだけ、僕のうちに彼と似ている部分を知っている。それが何処だか分かりますか?
 ここです。
 僕の首だ。
 唯一僕が彼に触れることのできた部分。
 彼の首の感触。
 僕はまだ覚えている。

 手錠で繋がれていたとき、彼はよく気紛れに僕に触れてきていたけれど、僕が彼に触れようとするとさりげなくいつも身をかわした。決して触れさせてはくれなかった。その癖まるで子供のような気軽さで僕の手や肩、首、果ては足の指にいたるまで触りたがった。まるで遊びのように。
 しかし、それは遊びではなかったのでしょう。彼にとっては全てが捜査の一貫だったのだと思います。寝台の上、彼に足の指を弄ばれながら身動きひとつできずに僕は天井を見ていた。そして、そんな僕を彼は見ていた。どんな気分だったか分かりますか?別に拘束されていたわけでもない。振りほどこうと思えば容易に振りほどくことができたでしょう。・・・そのとき、僕は歓喜していたのです。浅ましくも。彼に触れられるたびに心が震えた。きっと彼はこんな僕の心のうちまで理解して行動していたのだと思います。確かに其れは、縄のように僕の体を縛りつけ、どんな訊問よりも僕を追い詰めた。

 

−−−彼に触れられているところから発火し、その熱が僕の全身を焼いた、その思い出を語ろう−−ー

 

 

 

 

「りゅ、竜崎…」
 莫迦みたいに声が震える。ああ、彼が見ている。蔑むような視線で。竜崎の思うキラならこんなことぐらいで動揺したりしないんだろ。
「はっ、僕に、触るなっ…」
 竜崎は相変わらず冷たい瞳のまま僕に圧し掛かってきた。
「どうしてです?」
 別にくすぐっているわけでもないし、言いながら今度は僕の首に触れる。性的な意味もない、検視官が死体を扱うような乾いた手つきだ。僕はそれに絶望している。いっそ乱暴にされるほうが良かった。かつてのように執着が、再び欲しかった。 僕はいつそれを喪ってしまったのだろう?

 情けなさのあまり涙腺が緩む。竜崎に見られたくなくって横を向くが、彼は僕の顎を掴んで無理やり仰のかせる。僕の瞳に浮かぶ液体に目を留めると、呆れたように顎を離した。
「・・・あなたには心底がっかりしました」
 その言葉がまた僕を追い詰める。決壊の音を聞いた気がした。あと少し、あと一押しで何かが溢れ出す。僕はもう涙を隠すこともできない。

「がっかりしたのは、夜神月に、だろう?!でも僕はキラなんだろう?」

「、君も、頭のいいところだけは好きですよ」
 珍しく僕がキラを持ち出して反論したので竜崎はむしろ楽しそうだ。もう一度僕の顎を取りながら言った。

「・・・私にキラを返してください、夜神くん、君はいらない」

それが最後の一撃だ。

 金属音のような耳鳴りがした。僕は何かを叫んでいたと思う。キラ、キラ、キラ!そんなに人殺しが好きなのならやってやる。名前が分からなくても僕にだって君が殺せる。この体しかなくっても君を殺すことぐらいできるんだ。キラでなくても。
 気がついたら上下逆になって竜崎を組み敷いていた。両手で竜崎の首を絞めながら僕は泣いていた。ハタハタと雫が僕の手を、竜崎の顔を濡らしていく。
「ぼ、く、は、キラ、じゃ、ないっ」
 叫んだ拍子に指に力が入って竜崎の喉からゴボっという音がした。ありえない音だ。気が動転して力を緩める。強い耳鳴りが収まれば耳に入ってきたのは荒い呼吸の合間に混じる哄笑…、竜崎は笑っていた。心底楽しそうに、気違いのように笑っていた。
「はっ、キラっ!戻ってきたのか、キラ」
 僕は恐ろしさのあまり動けなかった。力なく両手は竜崎の首にかかったままだった。竜崎の大きな瞳に野蛮な輝きが灯っている。これが僕が求めていた男の貌だ。夜神月ではなく、キラを追いかける男の貌だ。
「最高だ、全て演技だったのか、夜神月、」
 聞いたこともない低い声で竜崎が囁く。興奮した竜崎は僕の手の上に自分の手を重ねて強く押した。
「もっとちゃんと締めないと私を殺せませんよ、月くん」
 ぎりぎりとしまる細い喉の感触が怖いのに僕は動けない。竜崎の瞳に呆然とした僕が映っている。彼は一体何を言っているんだ、何がしたいんだ、僕はキラではなくって、キラではなくても僕を見て欲しくて、そんなに欲した相手にいらないと言われ、発作的に彼の首を絞めた・・・それの何が可笑しい?

「君ならこの部屋に監視カメラがついていることぐらい分かっていたはずだ。そしてこの手錠、長期間の監禁生活、私からのストレス、それに君が耐え切れなくって突発的に首を絞めた。後で映像を見れば、計画性のない突発的な殺人だという証拠になるでしょう。いいシナリオですね。君はまだ未成年ですから。日本の刑法における未成年者の犯罪に対する処罰は甘い。8年、いやせいぜい5年で出られるかもしれない、そのほうが賢い。それで私を殺せるのならば。今までの演技は最高でした、今の君なら突発的に私を殺したっておかしくない、誰もがそう思うでしょう。そしてそういう状況を作ったのは私だ。さっき君に首を絞められたときに分かりました。キラが帰ってきたとね。君は常に私を殺そうと思うべきだ。それこそ私が見込んだキラだ」

 竜崎は言い終えるとひとしきりまた笑った。僕の手形がついた首を愛おしむように撫でながら目を細めて吐き捨てた。

「キラは私の下で哀れっぽく泣かない。演技でもなければ、ね」

 ・・・ここは地獄だ。目の前が暗い。僕は何もできない。見えない枷に捕らわれている。キラじゃないと蔑まれ、抗えばキラだと喜ばれる。何をしても竜崎は夜神月を見ない。僕は人形か。肉の器か。容器だけでも愛してくれないか。こんな状況なのに、彼に触れている、それが嬉しい。ああ、夜神月はなんて愚かな生き物なんだ。彼に愛されなくても不思議はない。

 

 

 

 

 

 その後の顛末は貴方も知っているとおりだから省きましょう。
 ・・・僕は、忘れられないのです。何年経とうと、あの首の感触を。手が覚えているんです。それだけが、写真一つ残さない彼のリアルな思い出だからです。彼が僕に唯一許してくれた部分だから覚えているのです。彼が死んで、何年も経ったある日気がつきました。風邪をひいたときだったのかもしれない。喉に違和感を覚えて自分の手で喉に触れて、思わず手をひいた。僕の首は、驚くほど彼の首と似ていた。細さも感触も、夢の続きで彼の首をまた絞めたのかと思うほどに。それ以来自分で自分の首を絞めることを止められないのです。倒錯的でしょう。自分で自分の首を絞めて、彼に触れたことを思い出して興奮しているのです。・・・こんな僕は嫌じゃないですか?
 これが貴方が神だと崇めるものの正体だ。

 

 

(唐突に男が立ち上がる音、衣擦れの音、激しい呼吸、くぐもった喘ぎ声、そして笑い声)

 

 

 ああ、そうだ。僕は貴方のような人を待って、いたの、かも、しれない。そうだ、もうちょっと力を加えて。親指に、そう、気道を塞ぐんだ。ぐっ。泣か、なくていい。ああ、気持ちがいいよ。もっと、もっとちゃんと締めてくれ。夜神月なんて殺してしまえ。

 

 

 


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どうして私が普通に書くとこうも暗くなるのか。
当初のコンセプトは、月→Lの片思いで非ホモだったのですが・・・。
かなり昔に書いていたものですが、なんだかありがちな気がして延々と
暖めてました。開き直ってアップ。今思えば、月が話者に対して
非常に偉そうなところが自分的ポイントだったのだな、と思いました!
特に照を想定してはいないのですが。



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